東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 The University of Tokyo III / GSII

研究Research

June 6, 2019

【教員インタビュー】関谷直也 准教授(前編)Interview with Associate Professor Sekiya, Naoya (Part1)

社会心理学から災害を分析し、その記録と教訓を残す
関谷直也 准教授 (前編)

情報学環総合防災情報研究センター(CIDIR)の関谷先生へ、現在の研究や社会心理に興味を持ったきっかけ、社会情報研究所教育部修了生として当時のお話などを伺いました。

Analyzing Disasters from the Perspective of Social Psychology: Taking Stock and Learning Lessons
An Interview with Sekiya Naoya, Associate Professor (Part I)

During the interview, Dr. Sekiya shared with us the reasons for his interest in social psychology and disaster studies. He has been particularly interested in media and communication surrounding environmental issues since junior high school. In recent years, he has paid particular attention to the Fukushima Daiichi Nuclear Disaster since the Great East Japan Earthquake in 2011 and economic loss due to misinformation. In his opinion, research on the economic loss and social chaos after disasters is important because reflecting on these issues allows people to prepare for the next disaster.

— 初めに、研究テーマについて教えてください。

災害や環境問題の報道など、メディアでの情報伝達とそれを受ける人びとの心理、社会心理が専門です。2011年以降は、ほぼ東京電力福島第一原子力発電所の事故についての研究が中心になっています。もう一つは、自然災害の研究。大きな水害や地震があった時には調査研究をしています。特に人びとの避難行動など、情報伝達と人の心理に関わるところが専門です。今はこの2つが大きな研究テーマです。

—「風評被害」についても本を出されています。

風評被害と言っただけで、「なにも問題がなかったと言いたいのか」「安全だということを前提として考えるなんてバカじゃないか」など色々なことを言われます。でも地元ではそういうことではなくて。長期間にわたって非常に多くの人を苦しめるのが原子力災害です。「風評被害」というのもその一端なんですよね。安全性の問題や避難の問題などが徐々に解決されていっても最後まで残るのが「風評」です。色々な人の考え方、要は社会心理なんですが、科学的な事実は一つでも、人によって放射線への捉え方は異なるし、子どもや親、家族の関係性のなかでそれに対する考え方が作られていく。また、それによって人間関係の崩壊みたいなことが起こっていったり。安全なことが科学的にはっきりしていたとしても、みんな不安だから福島県産の食品を買わない。そして、それが長期間、固定化されると、不安を持つ人が少なくなったとしても、流通の構造が変化して、元に戻らなくなる。

要は、人びとの心理とメディアによって、災害というか社会問題が拡大していく典型例だと私は思っているんです。だからこれは風評というけれど、原子力事故を起因とする経済被害という実害なのだから、賠償するとか、それなりの対策をとる必要がある。つまり、この問題をしっかり社会問題として考えましょうっていう問題意識から書いたものです。今は、この延長線上で、農業や漁業などの経済的影響なども含め社会的影響全般について研究しています。

— 「社会心理学」に興味を持ったきっかけは?

中学2年だった1988年に、当時の担任の先生が「ダンボール集めるぞ!」とか「空き缶集めて洗うぞー!」と言って、ボランティア活動を始めました。私も最初は何気なく「まあやるか」と思ってやってたと思うんです。ただ、その時にものすごく覚えているのが、周りの人の反応が冷たかったこと。「先生に気に入られたいの?」と仲のいい友達から言われたり。建設会社に勤めていた私の親からも、「お前は俺の仕事を否定するのか」と…当時は建設会社イコール環境破壊ですから。

今、研究しているから分かるんですけど、1988年というのは、ちょうど地球環境問題が言われ始めた頃なんです。その前に起こっていたヨーロッパの北海での越境環境汚染、86年にはチェルノブイリの原子力発電所事故があって、88年はアメリカの異常気象の熱波。その後のバルディーズ号重油流出事故。それらを誘因として、88年から89年にかけて世界的にものすごく報道量が増えた。要するに、日本での環境問題の報道というか、環境問題に対するメッセージの投げられ方が一番盛り上がった時期です。

それで、ボランティア活動を始めて1年程したら、「いい事やってるよねー」みたいな感じに周囲の雰囲気が変わった(笑)。その1年間で世の中の人の感覚が変化していったんです。私は環境問題そのものよりも、そっちにすごく違和感というか関心を覚えました。だから、改めて大学院で勉強をしようと思った時に、人びとの心理の動きというか、メディアやコミュニケーションが関わることは前提として、世の中の雰囲気ががらっと変わってしまうようなこと、そこを研究したいと思いました。大学生のときはよくわからなかったんですが、教育部研究生で勉強しているうちに、それが「効果研究」「世論」や「社会心理」という分野だということを遅ればせながら学んで(笑)、この分野の研究をはじめました。

— 福島第一原子力発電所の事故についての研究がメインとのことですが。

東日本大震災が起こった時、私は原子力事故の歴史から風評被害のことを研究したり、JCO臨界事故や柏崎・刈羽原子力発電所のトラブルなど原子力事故のことを研究したりしてきたはずなのに何もできなかった。災害研究として、何も残せてきた知見ってなかったんだなあと思いました。しかも、もともと原子力事故の研究からスタートしていたはずなのに、事故が起こった時の対応ではなくて、いつの間にか放射性物質の影響がない経済被害の研究、風評被害の研究をしていた。災害研究者のくせに、ファーストプライオリティではなく、セカンドプライオリティの研究をずーっとやってたんだなあ、というのが私としてはものすごく反省でした。

なので、今は放射線量が下がってきて風評被害の部分も多いのでその研究もありますけど、直接的に被災を受けた地域の、解除されたけどなかなか住民が戻ってこない浪江町の対応や、事故直後の被災した12市町村それぞれの行政対応や避難の問題、住民がどういう思いを抱えていたのか、経済被害や放射性物質による被害がどれだけの社会的混乱をもたらしたのか、そうした事柄を色々なかたちで丹念にみていくというのが今の研究の中心です。

世界中に原子力発電所は約450基あるので、また事故は起こり得る。なので、この記録はちゃんと残さないといけない。その教訓は原子力事故に限らないと思います。数十万人が避難した災害というのは、東京電力福島第一原子力発電所事故というか東日本大震災だけです。今、思っているのは、とにかく出来るだけ東京電力福島第一原子力発電所事故に伴うこの放射線災害をきちんと精緻に色々な角度からみていけば、多分次に起こる大規模災害のさまざまな課題が見えてくるだろうということ。その上で、被害を受ける社会の側というのはそれほど変わらないのだから、その時の対応をどうすればいいかっていうのも、おのずと考えられると私は思っています。

後編へ続く)

企画:ウェブサイト&ニューズレター編集部
聞き手・文章構成・英文要約:潘夢斐(博士課程)
編集・写真:鳥海希世子(特任助教)
英文校正:デイビッド・ビュースト(特任専門員)


主担当教員Associated Faculty Members

教授

関谷 直也
  • 社会情報学コース
  • 情報学環教育部

Professor

SEKIYA, Naoya
  • Socio-information and communication studies course
  • Undergraduate research student program