東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 The University of Tokyo III / GSII

研究Research

January 15, 2019

教育部で学ぼう! 教育部 授業紹介Student Voices on the Undergraduate Research Student Program

教育部研究生の出願受付けが、1月21日(月)から始まります。
上の教育部研究生(以下、研究生)募集のポスターは、在学中の研究生がデザインしたものです。教育部での授業をきっかけに、2018年9月に行われた自主合宿で「教育部の広報」をテーマに研究を行った班が制作しました。また、教育部での授業の様子をもっと知っていただきたく、この記事では、2名の研究生が各1つずつ心に残った授業をそれぞれレポートします。

The Undergraduate Research Student Program of the Interfaculty Initiative in Information Studies will start accepting applications from January 21st (Monday).
The above poster is designed by students currently enrolled in the said program. It was created at a residential workshop (organized by the students themselves) by a research group focused on the theme of “public relations of the Undergraduate Research Student Program”. This article also includes two reports written by students about particularly memorable classes they attended. It is hoped that these will allow readers to have a clearer idea about what the classes taught in this program are like.

・参考
情報学環教育部(Undergraduate Research Student Program)
情報学環教育部の入試情報(Guidelines on Admissions)

メディア・ジャーナリズム論講義Ⅳ

「ジャーナリズムの使命とは、権力を監視することである」という命題は日本において最も市民権を得ていない不幸なテーゼの一つだろう。権力をもつ機関は、われわれ主権者に比してずっと膨大な情報を保有する。したがってそのような諸機関がわれわれ主権者を代理するものに過ぎない以上、国民の知る権利を守るためには三権分立に次ぐ第四項として権力を絶えず批判的に検証する専門的な機関が必要とされる。だが、それは本当に全く正しいのだろうか?

そのような疑問がわずかでも頭を過るのならば、河原仁志先生によるメディア・ジャーナリズム講義Ⅳは極めて有意義な体験になるだろう。河原先生は、共同通信社の編集局長や総務局長を経て現在、常務理事総務等を務めるジャーナリストである。この授業を受講している教育部研究生は、東大の学生はもちろん他の大学の学生や企業に勤める社会人など合わせて20名ほどである。

新聞記事は書かれていることだけでなく、記事の裏の裏まで読まなければならない。そのためには記事の配置の検証や各新聞の比較など地道な作業が必要となる。また、日本のジャーナリズムの現状を知るためには、過去のことを知らなければならない。戦前における戦争に向かう国家への追随や、戦後の誤報事件、ロッキード事件における報道、そういった過去の事例を学ぶことで初めて、私たちが知る現在のジャーナリズムの姿が相対化され、また同時に日本の抱える問題も浮き彫りになる。

多様な研究生が聴講するこの授業はさながらひとつの社会のようだ。但し、この授業が普段われわれの暮らす社会と違うのは、みながそれぞれの意見をオープンにすることが求められることである。そこでは突飛な意見ももちろん歓迎される。その意見に対する批判もなされるし、更にその批判に対する批判もなされる。それに加えて、先生の意見も知識と経験に基づいた説得力のある「ひとつの」意見に過ぎない。もちろんそれはわれわれ研究生の僅かな知識や経験に基づいた意見よりも尊重されるべきものであろうが、しかし結局のところ絶対的な答えなどというものはない。だからわれわれは常に批判し続けることが要求されるし、そうして常に社会への眼差しを更新していかなければならない。ひょっとするとこの授業を通して得られる最も有意義な教えとは、多様性を抑圧し理解し得ない他者を排除するような風潮が強い現在の日本において、対話は批判的な精神のもとに不断に継続されなければならないということかもしれない。

ジャーナリズムは権力を監視しなければならない。だが、ジャーナリズムもまた検証されなければならない。なぜならば、大きな力を持つものが権力を持つようになることは必然だからである。権力は当然のこととしてジャーナリズムあるいは他者に対しても、ひいては自分自身に対しても常に批判的な眼差しを向け続けること、すなわち一人ひとりがジャーナリストであることが求められていることを、この授業の裏面に読み取った。

記事・写真(小上段):冨士盛健雄(教育部研究生)
取材講義:メディア・ジャーナリズム論講義Ⅳ(マスメディアは何を間違えたのか)河原 仁志 講師(共同通信)

広告コミュニケーション論

「広告」は、変化を捉えることが命。

―――授業の中で、講師の加藤薫さんが繰り返し使っていたフレーズである。

企業が変化を望むときにこそ、広告は真価を発揮する。そんな広告が伝えようとしていること、伝えねばならないことを知るには、この授業は魅力的な機会だ。広告のきらびやかな上辺のイメージではなく、広告業界におけるこれまでとこれからのリアルな変化を、業界最前線で働く講師のもとでまなぶことができる。

授業の序盤では、まずはマーケッティングの歴史を概観する。歴史といっても、ただ過去の事実の羅列を聞いているだけではない。たとえば、ヒトがネット漫画をよく読む時間帯はいつなのか。こうした一見、簡単にも見える疑問が提示される。自分の生活に密着しているはずのものなのに、考えてみると生活との結びつき方がうまくイメージできない。「通勤中」「夕方」「寝る前」など様々な答えがあがる。授業には、さまざまな大学の学生に加え、社会人も多数出席している。他人の答えを聞くと価値観やライフスタイルの違いに驚くこともしばしばだ。ちなみに答えは「深夜」である。無料のネット漫画が24時に更新される、というシステムが、夜に漫画を読む生活習慣を作り上げたのだと聞くと、意識しないところで人の生活習慣がプラットフォームにくみこまれている事実に恐れにも似た驚きを覚える。

続いて授業の中盤では、ゲストを迎えて現在の広告の最前線を垣間見ていく。普通であればなかなか聞く機会がない業界最前線で起きつつある広告の変化について、教室の中で話を聞くことができる。少人数の授業だからこそ、その場で質問もできるし、授業後の懇親会で更に話を掘り下げて聞くこともできる。

そして授業の終盤では、これから消費者が、そして広告が、どう変化しようとしているのかを、受講者が主体的に捉えることが求められる。企業が変化を必要とするときにこそ、広告は必要とされる。では今こそ注目すべき人々の感覚における変化とは、どのようなものなのか。実際に博報堂で使っているという、この変化を捉えるための方法を軽く説明されたあとは、グループに分かれてひたすらディスカッションを行う。105分授業を3回、4回と全力で話し合っているのに、グループ全員が一致して、「まだ時間が全然足りない」とぼやき続ける。普段の生活から覗くささやかな「消費行動の変化」を表すたった一言が、どんなに考えても全然、浮かんでこない。たとえ考えついたとしても講師からの的確なツッコミが入り、課題は増える一方だ。でも、これが悔しいからこそ、授業終わりに「次回までに考えてきたいこと」を、在学校も学年も違う研究生同士で自然に決めようとする。

広告業界に関するリアルな知識と、業界で必要とされる考え方の実践。双方を兼ね備えたこの授業を受けていると、広告に必要な考え方が、少しずつだが着実に身体の中に浸みこむような感覚を味わえる。

記事・写真(小下段):松山里紗(教育部研究生)
取材講義:情報産業論講義Ⅶ(広告コミュニケーション概論) 加藤 薫 講師(博報堂DYメディアパートナーズ)