教授
山名 淳
Professor
YAMANA, Jun
- 文化・人間情報学コース
研究テーマ
- 教育哲学・思想史
- 区分:
- 学環所属(基幹・流動教員)
- Cultural and human information studies course
Research Theme
- Position:
- III Faculty (Core & Mobile)
- 略歴
1963年生まれ。博士(教育学)。神戸市外国語大学(常勤講師、助教授)、東京学芸大学(助教授、准教授)、ベルリン・フンボルト大学(客員研究員)、京都大学(准教授)を経て、2017年10月より、東京大学大学院教育学研究科(教授)に所属。2020年4月より、情報学環・学際情報学府に流動教員として在籍。
- 主要業績
単著
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山名淳『都市とアーキテクチャの教育思想--保護と人間形成のあいだ』勁草書房、2015年
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山名淳『「もじゃぺー」に<しつけ>を学ぶ--日常の「文明化」という悩みごと』東京学芸大学出版会、2012年
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山名淳『夢幻のドイツ田園都市--教育共同体ヘレラウの挑戦』ミネルヴァ書房、2006年
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山名淳『ドイツ田園教育舎研究』風間書房、2000年
編著
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渡辺哲男・山名淳・勢力尚雅・柴山英樹編『言葉とアートをつなぐ教育』晃洋書房 2019年
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坂越正樹監修、山名淳・丸山恭司編『教育的関係の解釈学』東信堂、2019年
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山名淳・矢野智司編『災害と厄災の記憶を伝える--教育学は何ができるか』勁草書房、2017年
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L・ヴィガー・山名淳・藤井佳世編『人間形成と承認--教育哲学の新たな展開』北大路書房、2014年
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田中智志・山名淳編『教育人間論のルーマン』勁草書房、2004年
共著・分担執筆
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Engel,N./Köngeter,S. (Hrsg.): Übersetzung: Über die Möglichkeit, Pädagogik anders zu denken. Springer Verlag 2019. [Yamana,J.: Über-Setzung des kommunikativen und kulturellen Gedächtnisses: Zur Interpretation des pädagogischen Projektes „Gemälde der Atombombe“ in Hiroshima, S.99-114]
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森田尚人・松浦良充編『教育と教育学を問い直す』東信堂、 2019年[分担執筆: 山名淳「記憶の制度としての教育 ――メモリー・ペダゴジーの方へ 」、183-209頁 ]
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Mattig.R./Mathias,M./Zehbe,K. (Hrsg.): Bildung in fremden Sprachen? Pädagogische Perspektiven auf globalisierte Mehrsprachigkeit. transcript Verlag: Bielfeld, 2018[分担執筆: Yamana, J.: Wie >Bildung< die pädagogische Semantik in Japan bildet. Eine Beobachtung des Herumtollens von Bedeutungen in Übersetzungen, S.253-273.]
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對馬達雄編『ドイツ 「過去の克服」と人間形成』昭和堂、2011年[分担執筆: 山名淳「追悼施設における『過去の克服」--<第二次的抵抗>としての「追悼施設教育学」について」、253-293.
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Kemnitz,H. u.a. (Hrsg.): Die pädagogische Gestaltung des Raums: Geschichte und Modernität. Franz Steiner Verlag: Stuttgart, 2003. [分担執筆: Yamana,J.: Verwestlichung der Schulräume im nicht-europäischen Kulturkreis: Zur Veränderung des modernen Lehr- und Lernortes am Beispiel Japan, S.269-285.]
■研究の特徴: 哲学・思想史の検討を通した教育(学)的思考の更新
人間が〈成長〉するということ、また教育すること(そうした〈成長〉に介入すること)について考えるとき、私たちは往々にして暗黙の裡に社会や歴史の文脈に影響を受けつつ、特定の観念、概念、二項図式、問題構成、信念、世界観、価値観などに制約されて思考しています。そのような思考法そのものを相対化(第二次的観察)しつつあらためて教育を考察することは、そう簡単なことではありません。私たちの分野は、主として哲学・思想史の検討を通して、思考の体系性や歴史性そのものを考察対象の一部とし、そこから翻って教育や人間の〈成長〉に関する新たな解釈を探究します。考察の射程は、狭義の哲学に限定されず、広く人文・社会科学、場合によっては自然科学に横たわる広義の「哲学」的思惟にも及ぶことがあります。
■研究の具体例: メモリー・ペダゴジー構想
最近は、集合的記憶と想起文化の観点から教育および人間形成を捉え直す〈メモリー・ペダゴジー〉を構想し、学際的なメモリー・スタディーズと教育学と哲学の架橋を試みています。とりわけカタストロフィの記憶を伝承することの意義と課題をめぐる理論的な考察に関心の中心を置きつつ、想起文化の現場にも足を運んでいます。これまでドイツの教育哲学・思想史研究者たちとの学術交流を通して活動をしてきたこともあり、人間と文化のアイロニカルな関係性を主題としたビルドゥング(Bildung)論、そしてナチズムの記憶との対峙を主題とした想起文化論および追悼施設教育論などを、諸考察の重要な基盤としてきました。記憶と想起の観点から教育を捉えようとするとき、「メディア」や「情報」は不可避の主題として浮上します。集合的記憶を生起させる想起文化においてどのようなメディアがいかなる情報および非情報を媒介しているかを解き明かすことが、メモリー・ペダゴジーにとっても重要となります。
■教育哲学の魅力: 境界線を超える学問ディシプリン
教育哲学・思想史の魅力(場合によっては弱点にもなるのですが)は、考察の対象や方法を限定せず、むしろそれらを拡張したり別のものと接続させたりする自由さにあります。私自身、これまで教育における「自律性」問題(啓蒙の哲学、子ども中心主義)、追悼施設教育論(戦争に関する想起文化の日独比較)、教育における「暴力」問題(絵本論)、都市とアーキテクチャの人間形成論(田園都市の生活改革思想史)など、様々なテーマに取り組んできました。
ただし、哲学や思想に携わる考察であれば何でもよいというわけでもありません。教育(学)的思考の更新が重要なポイントであると、私は思います。そのために、とくに教育の理論と実践の場において蓄積されてきた思考がどのようなものであったのかを学ぶことが大切となります。自らの考察が教育(学)的思考の更新にとってどのような意義があるかを説得的に示すためには、そのような基礎的で地道な学修が不可欠です。