東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 The University of Tokyo III / GSII

教員 Faculty

准教授

米野 みちよ

Associate Professor

YONENO, Michiyo

  • アジア情報社会コース

研究テーマ

  • 音楽学と移民研究の交差点
区分:
学内兼担・授業担当教員
所属:
東洋文化研究所
  • ITASIA program

Research Theme

Position: 
Affiliated Faculty
Department: 
Institute for Advanced Studies on Asia
略歴

東京芸術大学音楽学部学理科卒業。フィリピン大学にて修士号(音楽学)および博士号(フィリピン研究)取得。フィリピン大学アジアセンター准教授を経て現職。Asian Studies Journal編集委員を経て、International Journal of Asian Studies編集委員。


23年間、フィリピンで北部山岳地帯の先住民の地域で音楽の調査をしてきました。「サリドゥマイ」とよばれるジャンルの民謡の歴史を明らかにする中で、北部先住民の「伝統的なうた」として知られているサリドゥマイは、 第二次世界大戦中に米比軍の米兵たちに伝えられたアメリカの民謡『駅馬車』などの旋律が現地風に変化し、現地語の歌詞に「アイアイサリドゥマイ」などのリフレインがついて、歌われてきました。一見(一聞)しただけでは原曲がわからないので、 なかなか理解してもらえませんでしたが、旋律を譜に起こして分析すると、関連は明らかです。音楽学者たちはわかってくれました。

従軍した老人たちは、空腹のつらさを、時には卑猥な歌詞も織り交ぜて、アメリカ民謡風のメロディにリフレインをつけて即興的に歌った歌を披露してくれました。老女たちは、自分たちの村にやってきた青年たちの集団(兵士たち)を迎えて、炊き出しに勤しみ、夜は兵士らとアメリカ風のメロディで歌垣を楽しんだ娘時代の思い出を語ってくれました。

現地の老人たちはサリドゥマイを「若者の歌」「戦争の歌」と語り、現地の若い人たちや、都会の人々、マスコミ、先住民の権利運動をしている団体などは「伝統的な歌」と言っていることに気がつきました。また先住民の間でも、サリドゥマイの盛んな地域とそうでない地域があるし、さらに、盛んな地域でも、 近隣の地域を指してサリドゥマイはそちらから伝えられてきた、といい、その地域へ行くと、別の地域を指してそこから伝えられてきた、というのです。どうも「発祥の地」は見つからない。これも米比軍が発祥という自説の根拠の一つです。どの村でも、そこに伝わるもっと古い歌と比べて、自分たちの固有の歌ではない、と認識されているのです。

一連の研究から見えてきたのは、先住民の人々が、外部および内部の様々な「力」と、たくましく交渉しつつ、強かに生きてきたこと。また、外来の比較的新しい文化でも、伝承の過程の中で、一世代のちには「伝統」と云われてしまうこと。その裏には政治的な駆け引きがあり、また国家は、 その統制のために国民文化を必要とし、先住民の文化は時に排除され、時に一部だけが利用されて、いびつな形で知られること。一度「伝統文化」として知られた文化は、一人歩きしていくこと。

一方、17年間、フィリピン大学でアジア研究に携わっていた時には、日比間を移動するフィリピン人に関する相談事が持ち込まれることが多々あり、ビザの問題や、言葉の壁、就労の問題の支援に、関わることとなりました。子供たちに日本語や勉強の指導をするボランティアの学生や主婦たち、法的支援をする弁護士たち、彼らの福祉に真剣に関わる地方公務員たち、良心的な斡旋業者、政府へ政策の提言をする研究者たちとネットワークができました。在日比人たちの子育てや就労に関する調査に加わり、政策への提言にも関わっています。

先住民も移民も、国家の中のマイノリティです。在日コリアの方たちは、三世を中心に、十数年前ごろから、多彩でハイレベルな音楽活動をするようになりました。在日比人も二世が活躍するようになってきていますが、三世たちが活躍する頃には、アイデンティティを求めて音楽活動を盛んにするようになるでしょう。その時、彼らがどんな音楽活動をするのか。今から楽しみにしています。