東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 The University of Tokyo III / GSII

教員 Faculty

教授

菅 豊

Professor

SUGA, Yutaka

LAB WEBSITE

東京大学東洋文化研究所・菅豊
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/faculty/prof/suga.html

  • 文化・人間情報学コース

研究テーマ

  • ヴァナキュラー文化と「新しい野の学問」
区分:
学環所属(基幹・流動教員)
  • Cultural and human information studies course

Research Theme

  • Vernacular culture and New Grassroots Scholarship
Position: 
III Faculty (Core & Mobile)
略歴

博士(文学)(筑波大学)

1986年 筑波大学第一学群人文学類卒業

1991年 筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科中退

1991年 国立歴史民俗博物館民俗研究部助手

1996年 北海道大学文学部助教授

1999年 東京大学東洋文化研究所助教授

2007年 東京大学東洋文化研究所准教授

2007年 東京大学東洋文化研究所教授(-現在)

その他、中国・山東大学文化遺産研究院流動崗教授、中央民族大学民族学與社会学学院客員教授、復旦大学文史研究院、米国ハーバード大学Visiting Scholar等を歴任

主要業績

文献リストは こちらのウェブサイト をご参照ください。


私はこれまで、日本と中国をフィールドに、地域社会における自然資源や文化資源の利用や管理のあり方、コモンズ論、無形文化遺産の管理論、伝統文化のトランス・ナショナリズムなどについて民俗学の方面から研究してきました。また、日本における公共民俗学の創出に関する理論的研究も行ってきました。現在は、主として下記の二つの研究テーマに取り組んでいます。

1、「新しい野の学問」の理論と実践

日本に存在する正統な学問の多くが、近代に西洋から輸入され、大学などのアカデミックな場で学者などの専門家によって発展させられてきました。これに対し、私が専門としてきた異端の学問・民俗学は、庶民、大衆、民衆などと括られるアカデミックの外(extra-academic)の主体が、生みだしてきた「学問(知識生産)」を原点とします。彼/彼女らは、近代において価値のないものとして忘却され、劣ったものとして否定された自分たちの日常生活文化を、自ら発見し肯定する、草の根運動のなかで民俗学を生みだしました。そのため、その学問は「野の学問」と表現されています。

民俗学が生成された時代と比べて、いまの社会状況は大きく変わっています。そういったなか、現代的な市民社会に適応した「新しい野の学問」の生成が求められています。そして、世界の至るところでその萌芽が見られます。たとえば、民俗学では公共民俗学、歴史学では公共歴史学、文化人類学では公共人類学といった、新しい分野と方法が模索されています。

現代的な「新しい野の学問」の最大の特徴は、職業的属性や社会的地位、立場性を越えて多様な主体が協働(collaboration)し、日常生活のなかで起ち上がる自らの周りのさまざまな事象を考究し、そして事象に内在する諸問題に積極的に関与(engagement)する点にあります。そこでは学者や専門家、公共部門、企業、NPO/NGOという市民団体、市民などが、その属性の壁を乗り越えて権限をシェアし、協力しながら知識生産と社会実践を一緒に行います。

私は、「新しい野の学問」という研究/実践領域を生みだすために、新潟県小千谷市の伝統地域文化である牛の角突き(闘牛)に参加し、その文化の担い手としてその文化の継承に実際に携わりながら、その文化と社会、そして人びとを研究しています。

2、「ヴァナキュラー文化」研究の視座の構築

ヴァナキュラー(vernacular)とは、元来、土地固有の土着的な地方語、話し言葉、日常語を形容する言葉として使用されていました。それは、ここ数十年のあいだに、種々の人文・社会科学ではその語義を拡大し、文化論における魅力あるキーワードとなっています。

その語には、文字に対する口頭、普遍に対する土着、中央に対する地方、権力に対する反権力、権威に対する反権威、正統に対する異端、オフィシャルに対するアンオフィシャル、フォーマルに対するインフォーマル、ハイに対するロー、パブリック(公)に対するプライベート(私)、プロフェッショナルに対するアマチュア、エリートに対する非エリート、マジョリティに対するマイノリティ、不特定多数に対する集団、集団に対する個人、高踏に対する世俗、市場に対する反市場、非日常に対する日常、仕事に対する趣味、他律に対する自律、意識に対する無意識、洗練に対する野卑、教育に対する独学、テクノロジーに対する手仕事などなど、実に多様な含意を込めることが可能です。もちろん、上記のような単純な二項対立ではっきりと腑分けできるものではなく、実際はその対立の境界が溶融しているところでアクティブに蠢いている語ととらえるべきでしょう。そのため、未だにvernacularという語に対する日本語での定訳がありません。私が、あえて翻訳するならば、それを「野」に「生きる」という意味での「野生」、あるいは「野性」と訳すでしょう。

ヴァナキュラーという語を文化に冠することにより、多様な文化のなかから括り取られる「ヴァナキュラー文化」、すなわち「野生の文化」「野性の文化」は、必ずしも社会の表舞台に登場するわけではないし、多くの人びとから称賛されたり尊敬されたりする文化でもありません。ときに否定されることすらあります。しかしそれは、社会のどこかには必ず登場し、特定の人びとから特別な熱意をもって執着される文化です。

例えば、将棋。ヴァナキュラー文化という観点から将棋を考えると、日本将棋連盟に加入するプロ棋士たちのコミュニティに加え、路地裏の縁台将棋や街中の将棋倶楽部、あるいは賭け将棋をする真剣師たちのコミュニティなども、研究の射程に入れることができます。

ヴァナキュラー文化は、正統な文化の対概念として表現され意識され、上記のような、明確な対立性から権力論や対抗文化論などで語ることができます。しかし、一方でただ単に「好きでやっているだけ」といった取り付く島もない根源的な表現で、いかなる学問的解釈をも拒むことすらあります。

現在、アメリカ民俗学では、このヴァナキュラーという語を用いて、伝統文化(traditional culture)や民俗文化(folk culture)、大衆文化(popular culture)という枠組みとは異なる文化研究が執り行われています。ヴァナキュラー建築を手始めとして、ヴァナキュラー芸術、ヴァナキュラー・テクノロジー、ヴァナキュラー宗教、ヴァナキュラー写真、ヴァナキュラー音楽など、多くのヴァナキュラー文化が、すでに考究されています。

私は、ヴァナキュラーの視座を文化論に応用するために、日本で生まれたヴァナキュラー文化である錦鯉や、中国の見世物・土産物芸術として起こった花鳥字(花文字)を題材として研究しています。

実は、1で述べた民俗学などの「野の学問」は、まさに2で述べたヴァナキュラー文化なのです。「野の学問」はヴァナキュラーな学問。このことを考えれば、上記の1と2の研究が「野生の文化を考える野生の学問」として、密接に関係することがご理解いただけると思います。